■原産地
ブラジル南部、アルゼンチン北部、パラグアイにまたがる、南緯15~30度、西緯40~60度に囲まれた地域です。
■普及過程
パイナップルは、新大陸で発見された当時(1492年)すでに中部アメリカ、西インド諸島に伝わっていました。そして、新大陸発見後、広く世界へと紹介されました。16世紀には、アフリカ・インド・南洋諸島の各地に分布。17世紀には、ヨーロッパ貴族の温室で品種育成も試みられ、18世紀には、南北緯度30度以内の熱帯・亜熱帯地域で広く栽培されるようになりました。輸送や貯蔵に弱いパイナップルは、その後世界への伝播が遅れます。現在、世界の主要栽培品種のスムースカイエン種は、1819年フランス領ギアナから、フランス本国へ渡り、それからイギリスへ。アメリカはフロリダへ、そしてハワイへ、ハワイではジョンキドウェルがパイナップル缶詰工場を1892年に設立。一躍大産業の素地が作られます。缶詰用原料として認知されたスムースカイエン種は、1923年には台湾、ここ沖縄には1927年に伝わりました。
■沖縄に入った時期
14世紀から16世紀、琉球王国は大交易時代。地の利を生かし、西の明(中国)、東南アジアのルソン(フィリピン)、シャム(タイ)、マラッカ(マレーシア)との貿易が盛んに行なわれていました。その頃伝わった代表的な物が泡盛です。ただ、パイナップルは比較的遅く、1866年石垣島沖で座礁したオランダ船から、川平湾に漂着したパイナップルの苗が、沖縄に伝来した最初とされています。沖縄本島では1888年に小笠原から輸入されたものが国頭郡に広がり、1927年には、現在の主力栽培品種である、スムースカイエン種が本部町伊豆味に導入されました。石垣島では1930年に台湾からパイナップルの苗が運び込まれ、1935年には林発氏等を中心に、台湾から栽培農家53農家が移住して、本格的なパインの生産が始まりました。
■沖縄のパイン産業の変遷
1927年本部町伊豆味でスムースカイエン種が導入栽培され、石垣では1935年台湾からの入植者により栽培が始まりました。1938年には石垣市に缶詰工場も建設され、県外移出が始まりました。しかし、第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受けます。戦後、石垣島では1946年から、沖縄本島では1952年から栽培が再開されます。その後パイン生産は急増し、1960年には、サトウキビと並ぶ二大基幹作物として、沖縄の経済を支えるまでにパイン産業は成長します。1970年代に入って、オイルショック、冷凍パイン輸入自由化、経済不況の影響を受け、最盛期1969年(年間10万t)の6割程度までに落ち込みます。その後もパイン産業は、パイン缶詰の需要低迷・安価な外国産パイナップル缶詰の価格攻勢等の影響を受け、ついに1990年には沖縄のパイン生産の需要の大半を占める、パイン缶詰の輸入が自由化されます。ウルグアイラウンドによる、このパイン缶詰自由化により、沖縄のパイン産業は大きな打撃を受けます。
(以上、沖縄商工会ホームページから引用)